偏差値38の底辺高校で陰キャ女が生き延びた話
前回、いい感じの一文で〆ておいて10日間もほったらかしちゃった。
ここ10日間、通勤や退勤時の電車やタクシーの中で、スマホのメモ帳アプリを立ち上げ数行書いてみるものの、
頭の中にぷかぷかと浮かんでいる文字列が、綿棒が100本とか入ってるアレをうっかり倒しちゃった時のように一瞬にして散り散りになってしまい、うまくいかない。
どうやら自分の中の考えを人に読んでもらえるよう加工するのは私にはまだ早かったようだ。ちょっと昔のことなど振り返ってみようかな。
暴れ牛、1995年生まれ、22歳、女。
いまでこそ地元から離れ、憧れだけ持ってデザイン業界に単身で乗り込み、
ブラック企業に勤め
電車に揺られ、バスに揺られ出勤し、
タクシーに揺られ帰って、寝て、また出勤、といった生活を送っているが、
一応性別は女であることから、否応が無しに私にもワクワクキラキラドキドキの「女子高生」だった時期が存在する。
女子高生
その称号を得る条件は、
女であり、高校生であること。
たったそれだけで得られる肩書がなぜこうも圧倒的なパワーを放っているのか。誰にも解くことができない人類最大の謎。
女性であればほぼ必ず女子高生であった時期が存在するわけだが、
そのバリバリ最強No1な女子高生時代は、人生のうち、どうあがいても3年間しか無い(順当に行けば)。
そんな貴重な女子高生時代を、まるごとおどけたピエロとして過ごした話をしようかと思う。
地元の一つしかない町立の中学校を卒業した私は、その時点では将来のことなどひとつも考えていなかったため(中学卒業の時点で将来のことを考えて進路を決める人はまじで偉いしすごすぎてヤバイと思っている)、そのまま地元の公立高校を受験した。
受験といっても5教科100点未満(5教科100点未満で合格したやつは全員1年の序盤で暴力沙汰を起こして退学していった)でも合格するほどのクソバカ高校だったため、受験勉強もほぼ一夜漬けで済ませた。
当たり前のように治安も世紀末並みだったため、
入学初期は、女子同士での髪の掴み合いにまで発展する大ゲンカが廊下で頻繁に行われていたり、
体育館の倉庫で男子生徒がパイプ椅子でタコ殴りにされるといった普通に事件規模の問題が次々と起こった。教室内でのセックスに出くわすのは日常茶飯事だった。
そんな問題を起こす奴らは大体それが原因となり退学していったが、
入学初期はそいつらが覇権を持つ世界だった。
授業が終わって先生が職員室に行った後の放課後の教室内、
スカートを5回くらい折ってパンツ丸出しの状態で男の膝の上に乗り、ドピンクの携帯をいじくる染めムラだらけの赤毛の女と、
教室内で電子タバコ(多分本物じゃなくて、禁煙したい人が吸う水蒸気が出るやつだったと思う、今思えば)をふかし、周囲の人間に圧をまき散らしている彼氏らしき男。
少しでもそいつらの気に障ることをすれば「終わり」だった。
若干「陰」の気を帯びている女子生徒がスカートを折ろうものなら、クラス内でのカースト上位の人間が
「まじあいづだっきゃちょづいでね?みったぐねーくせにこきたらしねもんみせんなじゃ(あの人は少し、調子に乗っているのではないですか?綺麗とは言えない容姿の持ち主であるにも関わらず、あのように生足を出されると不快です)」
と呟く。その言葉を皮切りにクラス全体での村八分が始まる。
無視だなんて生ぬるいものではない。村八分を食らっている本人が不在の間、カースト上位のボス猿女の右腕的猿女が鞄や机の中を漁り、携帯を取り出し、画像フォルダを洗いざらい見る。
その中から「脅迫」に使えそうなものを抜粋し、メールで関係者各位に送信。
後日、本人に画像を見せて脅迫。金をせびるのかと思いきやそうではない。彼らにはそこまでの一歩を踏み込む度量は無い。
人権の剥奪が目的なのである。
本人が見られたくない画像を、クラス内での不特定多数の人間が所持しているという事実で本人は身動きが取れなくなり、「スカート折ってんじゃねえ」という圧を読み取り折りをとかなくてはならなくなる。
このような村八分に遇い人権を剥奪されてきたクラスメイトを何人も見てきた、私氏、陰の者。
当時、ニコニコ動画が最盛期だった時代で、
母に買ってもらった容量2GBのウォークマンにはしこたまボーカロイドとGero(歌い手)の歌ってみたが入っていて、合わせてジャニオタ。
関ジャニ∞の横山裕担当で、横山裕のことを「侯くん(本名が横山侯隆)」と呼ぶタイプのアチャチャな16歳であった。
加えてデブ、低身長。少しでも身の丈に合ってないことをすれば村八分に遇うには十分すぎる条件が揃っていた。
だが、私は『村八分に遇った人間の脅迫材料がメールで共有される側の立場』にいた。
何故か。
死ぬほど無理して頑張っていたからである。
もう滅茶苦茶に頑張った。ボス猿たちに取り入ろうと加藤ミリヤと清水翔太を滅茶苦茶聴いた。AK69を生理的嫌悪感で涙を流しながら聴いた。
なぜそこまでしなければならなかったのかというと、地元が鬼のように田舎だったのもある。私の町だけインターネットがまだ普及していないのでは?と思うほどネットの情報を持っている人間が少なかった。
いたとしても、マジの陰。シャワーは毎日浴びん?16年間生きてきてその身だしなみテクニックの身につかなさは何なの?マジじゃん…。
みたいな人間しかおらず、そんな人間のグループに入るのは嫌だった。私は14歳から人付き合いをメリットデメリットの比重で考えていた。
幸い私は肥満体系で手足も短く、女性同士のトラブルのもととなる男絡みの問題への『こいつは心配なさそう』感が半端じゃなかったため、猿女たちのファーストインプレッションは悪くなかったんだと思う。私と話すときの顔がずーっと半笑いだったから。
加えての自虐頑張り。そのままの状態で仲良さを取り繕っていたとしても、一歩間違えば「づーか暴れ牛ってデブじゃね?」の一言で村八分が起こる可能性が存分にある。そこを先回りで潰していた。
ある日、ボス猿が体育用のTシャツを忘れてきたということで、私のTシャツを貸した時があった。
ボス猿は大変にスリムな体系であったため(猿だから)、肥満体系の私のTシャツを着るとお尻まですっぽり隠れるほどのオーバーサイズとなってしまった。
その瞬間!
私の第六感が異様な空気を感じ取り、気づいたら
「彼シャツじゃん!!!!!!!」
と教室中に響き渡る声で叫んでいたことがある。
その後、教室内は大爆笑。ボス猿は私にハイタッチを求め、その瞬間に私の「クラスのひょうきんもの」としての立ち位置が確立されたのであった。私の高校生活の安寧が確約された瞬間である。
むろん思春期。デブなのはめっちゃ気にしていた。
だがそこを削ることで安定した高校生活を送れるものなら容易いものよ…。当時私は本気でそう思っていた。
あと、部活を本気でやっていたのも効いていたと思う。あいつら、何故だかわからないけど部活をマジにやっている人間に対して近寄れない傾向があるから。
存在そのものが悪だから、正のパワーには適わんから。部活は正義だから。
でも文科系の部活だとむしろ弄りたい欲を煽ってしまう可能性があるので要注意です。
そんなこんなで、吐き気を催す邪悪に手を揉みゴマを擦り、へーこらへーこらする女子高校生活を送っていた女は、
死ね死ねブログと言うタイトルのブログを始める、22歳の終わってる処女になりました
新・高校生のみんな。
気を付けなはれや!!!!!!!!!
はじめましての2
ブログを始めると息巻いてみたはいいものの、何を書けばいいのかわからない。
分からないというか、書きたいことは山のようにあるが、それをブログとして発信するにあたり適する形に変換するのがとても難しい。
「自分語りが鬱陶しくない?」とか「そんなの誰も聞いてなくない?」みたいな感情が邪魔してくるのだ。ブログなんだからそんなもんでいいのだろうが。
Twitterでは深夜2時ごろに140字カツカツの愚痴&自分語りで驚異の12連ツイートをする人間と同一人物の思考回路とは思えない。
しかし、今時点で観覧している人間なんて、それこそ酸いも甘いもうんこもゴミクソも全部開けっぴろげにしているTwitterの鍵アカウントのフォロワーくらいしか居ないんだろう。
けども、せっかく頭の中身をフィルターに通してから発信しようと思い立ったのだからちゃんとしたい。
ちゃんとしたいんだけども、ブログなんて10年ほど前、アメーバピグが最盛期だった頃にアメブロをやってたのが最後だし、
その頃は改行10Lくらい入れて、赤字で強調した感想文にやたらめったらとハートとキラキラと双葉の絵文字を付けたかっただけであり、肝心の内容は「無」そのものだった。(アイスをこぼしました~! 等)
今時点でなんとなく分かったことは、きちんと椅子に座りPCに向かいキーボードに手を乗せると思考停止し、無意識にYouTubeのショートカットにカーソルがスススと向かっていってしまうこと。
今は退勤後のバスの中でiPhoneのメモ帳に向かい一心不乱にフリックフリックしている。こっちの方がスルスル言葉が出てくる気がする。
職柄、家で仕事や創作活動をする際PCに向かうことがほとんどなので、「しっかりしなきゃスイッチ」が入るからなのかもしれない。しっかりしなきゃいけない場面でしっかりできたこと、人生で2割ほどしかない。
どういうテンションでブログをやっていけばいいのかが依然分からずじまいだったため、好きなブロガーの1番最初の記事を読んで雰囲気を真似てみようと考えた。
普段からブログを読んでる方であれば、気になるブロガーの最初の投稿を見るなんてことは、好きな人のフルネームをSafariで検索かけてみちゃうことと同じくらい常識的なことなのだろうが、超・常識的なことなのだろうが、
なんせ私がブログやエッセイを読み始めたのは本当に最近の話であり、サイトの仕組みすらよく分かっていない状態なのである。
そんな私が掘り返した、気になっているブロガーの最初の投稿の最後の一文には、
「寂しい夜のお供に、あなたの人生に少しでも関われますように」
とあった。
あっ、これでいいんだな、と思った。
芸能人でも有名人でもない人間が発信する文章で少しだけ救われる夜がこの世に一つでもできたならいいなと、
事実、私自身が救われた夜があったからブログを開設してみたのだが、
どうやらブログというのは既にそういうものであったらしい。
文章を書き出すストレッチをしたところで、そろそろそんなブログを始めてみようかと思う。
どうか皆様、改めましてよろしくね。
因みに最初の投稿で説明し損ねてましたが、ブログ名の由来は開設時にブチ切れていたからです。